花に嵐のたとえときたら、ご存知、さよならだけがなんとかよ
はいさい。出会いがあれば別れもあるのさ、そうさ。
三年ほど前、偶然宮古で知り合ったはっちゃけ(死語)夫婦がいました。お互い旅の途中、その夫婦はあえて格安宿に泊まり若者たちと楽しい夏を過ごしたのさ。
僕も移住を決め、しばらく東京に出稼ぎに戻ってるときも、飯をご馳走になったりいろいろ面倒見てくれてたのさ、そんでなんとか僕は宮古島に住めるようになり、宮古の田舎の一人じゃ広すぎる一軒家を借りたのさ。
そして二年前、その夫婦はまた宮古に遊びに来てくれて、今度はおとうも完全にリタイヤ出来てゆっくりしたいということ、じゃあ僕んちにおいでよってことになって、あれよあれよと二年間一緒に暮らしてきた、いわば宮古の父と母なのさ。
最初はそんな長くいるつもりでじゃなく、ほかに家でも借りようかと思ってたみたいだけど、そんなある日、僕は突然厄介な病気で入院することになり、それじゃ誰もこの家を守る人間が何ヶ月もいなくなるじゃないかと、貴重なリタイア後の悠々自適な時間を少し延ばして僕が帰ってくるまで見ていてくれたんです。(おとうは菜園部長という激務も勤め上げ、ウルトラハッピーフェローズ農園の立ち上げてくれたしね)
それはそれはここでは書きつくせない程世話になったわけで、当然書ききれないぐらいで。
そして今年の夏は去年入院して会えなかった息子さん夫婦、孫たちも来てくれて、そりゃ~もう楽しい夏が過ごせたし。
その、宮古で出会った不思議な家族の生活も一段落、僕の体調も戻りつつあり、もう仕事も出来るようになったことを見届けて内地に戻っていきました(じっとしてられない寒いとこ嫌いの夫婦だから次もどっかの南の島に行くことでしょう、多分宮古もすぐ帰ってくるけどね)
また会う日まで、会えるときまで、涙のそのわけは話したくない、なぜか(はいはい、そこらへんで)
宮古の息子や娘たちだよー!またね。
一番寂しがってるのはからし、毎日玄関で泣いてるよ(笑)
関連記事