2012年05月30日

天国からの電話

今日、いつものように営業中、お客さんと笑いながら話してるときにポケットの携帯が鳴り、着信の名前をみて怖いと思う気持ちとひょっとしたらという希望の気持が一瞬に降りかかり、一寸ごめんよとお店の外に飛び出した。

出来るだけ明るく、元気な声で出ようと数歩歩く間に決めていたので努めて元気よくしっかりした声で出たはずだ


「もしもーし!」


どちらの声であったとしても。



約六年前、僕は急性骨髄性白血病というやっかいな病気にかかり、その治療のため10ヶ月ほど京都の大学病院に入院していました。死んじゃうんだろうなみたいな気持も半分、いやいや行けるっしょまだ俺はとかきたてる気持も半分で入院生活をしていたとき、同じ病棟では同じような病気と闘い過ごす人たちがいました、
同じ六人部屋でも強烈なキャラのおっさんやら、優しい日系ブラジル人やら、既往歴12年と云う30歳の兄ちゃんやら、入院してすぐ死んじゃった大金持ちの超わがままじいさんやらま、その他いろいろ、入院してる間にどっか見えなくなった人も、無事退院できた人もいろんなひとと関わってその生死の境目も立ち会ってた日々でした。

そんな日々の中、女性部屋でもひときわ明るく笑顔がめちゃかわいい「キョ―コちゃん」とすれ違いざまの挨拶からそんで立ち話など、休憩室でのおしゃべりとかで仲良くなりまして、ま、可憐な少女というよな年齢ではなくほぼ同世代。「キョ―コちゃん」はでも病棟の中では看護師さんからも先生からも、入院患者からもその笑顔で愛されてる人でした。

いつかだったか、休憩室で僕がベットの横に張っていた宮古島のきれいな写真を見せてあげた時に「絶対絶対!行く~!良くなったら行くからはたぼー絶対あそんでなー!」と、。いつも自慢のやさしいだんなさんなら必ず連れていってくれるから約束よー!といつも以上の笑顔で話すもんだから、「もちろん付きっきり超ビップな宮古島裏も表もどんと全部楽しませます豪華ツアーしたげるよー!」と調子こいてました。

お互い入院中は、調子のいい時と悪い時は波のように襲ってくるのでちょこっと見なかったら大丈夫かな~?看護師さんが「キョ―コちゃん、今かなりキツイから個室病棟にうつったよー!」と情報をくれて看護師さんも心配そうにしてたり、また逆に僕が見えない時は「キョ―コちゃん」が看護師さんに聞いていたり、そんな毎日でもお互い調子が上がり廊下であったりしたら「復活したねー!」と喜んで、あれがヤバかったやら、何がキツイやら言い合ってはでもそんな話が出来て共有し合えるのは同じような病気をしている人間としては心強いわけで、男と女とかじゃなく同士のような存在で、僕はどんなに入院中「キョ―コちゃん」にパワーをもらったことか、あの誰にでもみんなに分け隔てなく一番きついのは自分なのにあのめちゃ可愛い笑顔でいられる「キョ―コちゃん」でした。

僕が京都の病院退院して那覇の病院に行く時は「キョ―コちゃん」は調子がかなり悪く無菌室にいたので会えないで退院したけど那覇の病院でラスト治療してる時も何度か電話で話してがんばらんとねーみたいな会話をしてた。

そんな毎日もようやく退院できるようになって、一応化学治療は一定の効きめがあり「寛解」といういわば仮釈をいただき無事、ベットの横に絶対帰ってやると思いので貼り続けた写真の宮古島に帰って来たわけです。

その何ヶ月後かに、オヤジが倒れて丹波の実家に帰省してるときに久しぶりに「キョ―コちゃん」から携帯がなりました。

能天気に「どーよー元気かい?俺は今から釣りいくよー!」なんて話してたら「キョ―コちゃん」は声にも力がなく、とにかくキツイと、もう目もあんましぼやけて見えないと、辛そうに話してる。
俺だけなんか元気になって悪いような気がしてまた絶対良くなるから今は我慢だよーなどとたいして気の利かない事を話してなんだかモヤッとして電話を切って以来、それまでに電話する機会はいくらでもあったのにあの時の「キョ―コちゃん」の力のない声が頭の横側に張り付いたまま5年ちょっとが過ぎていた。



携帯の声は男性の声でした。その時、わかりました。僕は不謹慎ながらもあの電話のあと「キョ―コちゃん」はもう長くないんだろうなと感じてました。

でも「キョ―コちゃん」はあれからつい先日まで骨髄移植は成功したもののその後遺症とあらゆる併発する病と闘ってほぼ五年ちょっと寝たきりになりながらもいつも周りの人にはあの笑顔のまま接してつらいようなそぶりも見せず、そんな体なのにみんなに笑顔で元気を与え続け最後は呼吸しているだけの状態なのに笑顔で長い長いつらいはずの闘病生活を終えたという事です。

さすが「キョ―コちゃん」の自慢のだんなさん、お世話になった人に御迷惑ながら連絡させていただいていますと「キョ―コちゃん」の最後までの生きざまこと細かくを伝えてくれました。

あなたもつらく、想像を絶する日々だったはずです、お疲れ様ですと伝えると電話の向こうで言葉にならない感謝を伝えてくださる声がたまらなかったよ。

おかげさまで僕は生きています、「キョ―コちゃん」がどんだけ僕だけでなく周りの人たち心の支えになったかわかりません、ありがとう。生きてるぶんがんばります。

だんなさんは、お会いしたこともく大変失礼かもしれませんがお世話になりました、そして宮古島に行けなかったキョ―コのぶんまで生きて下さいと、伝えてくれました。


それから天国の「キョ―コちゃん」病気になって数年間、ホントにホントによく頑張ったね、あなたの笑顔は壊れそうな気持と戦う唯一の武器だったような証だったような無償の愛だったような気がします。


ゆっくり自分のために休んでな!ありがと。



あーだこうだ、なんだかんだ。ひーこら大変だ。キツイキツイ、なんでわかんねぇんだよ!わかってくれよ!しんどいわ、チョー楽しい!ああ、ありがとう!キライだ!感謝感謝。



生きていないと感じれないことがあるのに贅沢だね。



電話を切ってお店に戻りお客さんと話したり、洗いもんしたり、常連さんと笑ったり、いつもの時間が過ぎていく。

ちょこっと見上げた空の月はなんか今日の心とおんなじような半月で、帰りは自転車高速漕ぎでおうちに帰りましょうか。

天国からの電話








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Posted by はたぼー at 01:29│Comments(2)サムライ的独り言
この記事へのコメント
自分も少し前に生死の境をさまよってた時があります…

だから今を楽しんでますf^_^;


話を読んでるて素敵な人だったんだな~と思いました。

迷惑にならない程度にその方のご冥福を願います。



はたぼーサン、その人の分まで楽しんで生きましょうねー!

m(_ _)m
Posted by ホンダ at 2012年05月30日 16:21
ーホンダさんー
そうだったんだー!ホンダさんもしんどかったんね。つまり釣りしなきゃねー(笑)いやいや一度一緒に行こうね!
Posted by はたぼー at 2012年05月30日 23:26
 
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